コロナ禍で停滞した観光需要を探るべく、様々な調査結果が発表になっています。ダボス会議で発表されたレポートでも、経済誌で発表されているレポートでも、日本への旅行を希望する人が多く、大人気です。
かつての「お・も・て・な・し」だけではなく、ミシュランで最も星が多い国であるという食の楽しみ、温泉、歴史的建造物と、多様な要素があり、これらが、欧米からの距離や英語が通じないなどのデメリットを上回る状況にあります。
観光においては、大なり小なりどの国も同じことが言えますが、後世の人間が、先人たちの遺産で食べていくことになるわけです。日本の観光資産と言えば、お城、温泉、歌舞伎、忍者、相撲、と思い浮かぶもの(西洋と異質なもの)が、色々ありますが、興味を持たれる観光のコンテンツ自体、相手によって様々です。
そんな実例をひとつ
モンゴルで仕事をする機会があり、草原、パオ、ジンギスカン、遊牧民!とワイルド感溢れる景色や体験を期待して出かけました。が、かなりイメージが違ってました。まず、最初の衝撃は、ジンギスカンという料理がモンゴルには存在しなかったこと!共産化が進んだ時期に、歴史的建造物や寺院の多くは破壊され、ほとんど残っていません。博物館にいくつか展示されていましたが、数は本当に少ない。遊牧民は、子供たちの教育を懸念し、都市部への居住を希望し、ウランバートル周辺にパオごと移住したために、炭の煙がすさまじく、冬季の大気汚染がすさまじい。共産化の後、一気に鉱物資源の開発と投資が進んだため、貧富の格差が拡大しておりマンホールキッズが出現。
アジアには歴史ある建造物を持つ国が多くありますが、共産化や内乱があると破壊されてしまいます。急速な高度経済成長があると田園の景色が失われます。現代において、歴史的建造物が維持されていることや、田園風景が残っていることは、それだけで素晴らしく価値があることです。
先ほどのモンゴルで財閥の長と過ごす時間の中、日本への想いを何度か聞きました。日本が好きな理由は、寺院が美しく清潔なこと、地方のあちこちに神社があり人々が日常生活の中で祈りを捧げていること、お地蔵様があちこちにあり、大切にされていること、だそうです。彼女は、それが人の心を穏やかにしていると感じ、モンゴルでも実現したいと寺院の復興に取り組んでいます。
先日訪れた、富山の楽土庵、この土地には、「土徳」という思想が定着しています。当たり前のように土地に感謝し、仏様に感謝し、地域の人たちと祭りのための太鼓の練習をしています。見渡してみると、田んぼは美しく、ゴミはなく、場違いな看板もありません。見慣れた日本の田舎の風景なのですが、本当に癒されました。
先日のワールドカップでも、日本人サポーターの清掃活動が世界的な話題になりましたが、その場を清めることは、衛生面だけの問題ではなく、心の平静に繋がると理解されているような気がします。日本では、”整理整頓”の専門家だと認識されているこんまりさんも、米国に行くと、片付けがセラピーだと受け止められて多くの共感を得ました。
では場を綺麗にするのが、日本人の特性かと言えば、それはそうでも無かったようです。何事にも歴史的な背景があり、連続性にも不連続性にも、それぞれの理由ときっかけがあります。
日本で生活していると、歴史を敢えて意識することはあまりないですし、気遣いや窮屈さに繋がる場合もあります。某テレビ番組にのように、”ニッポン素晴らしい!”と単純に思うわけでもありません。
それでも、根強い日本人気を思うと、神々が喧嘩をせず共存し、身近に祈りの場所があり、何かあれば手を合わせるという行為や、場を清浄に保つことを良しとする文化を、もう少し評価しても良いのでは?と思うのです。
日本人が意識していないところ、そんなの当たり前でしょ?と思っているところに、日本独自のウェルビーイングの要素があるような気がします。