先日誕生日を迎え、還暦になりました。
干支が巡り、一旦リセットされる=赤子に帰って生まれ変わる年だそうで、昔から赤を縁起物としていました。親世代なら、盛大にお祝いした一大イベントです。定年退職が55歳とか60歳といった時代であれば、ご隠居色が強く、完全リタイアの印象が強かったと思います。
ちょっと前まで、頻繁に親族やお世話になった方の”還暦祝い”が開催され、お祝いにかけつけたり、お手伝いしたり、お祝いを贈ったりしたものです。バイクが趣味の方に、赤い皮のライダースーツをオーダーとしてお贈りしたこともありました。
が、自分がこの年代になってみると、あまり派手にお祝いする方はほとんどおられません。少し前に、派手なお祝いが好きな方に、”どうします?”と聞いてみたところ、”絶対にしたくない!”と気分を害されてしまいました。。。(そこまで反応しなくても良さそうですが)誕生日はいいけど、年齢を殊更アピールするのは嫌なんだそうです。寿命もどんどんのびて、人生100年なんて言われる時代なので、通過点でしか無いのかもしれません。
さて、私自身の還暦、実感としては、本当に”何も変わらない”です。60代になると、自由になるよ、楽しいことがばかりだよ、とおっしゃる方もおられますが、それも人によって違うんだろうと思います。自由になった点もありますが、会社をやっている以上、完全にお気楽という訳にもいきません。ただ、より”好きなこと”に時間を使えるようになってきたのは確かです。それは本当に幸せなことだと思います。
社会に出る前、ぼんやり考えていたのは、”好きな人と好きな事が出来る未来”でした。宮崎から東京に出てきて、コネも何もない大学生の私には、まず生きていくための仕事を見つけることが何よりも大切で、えり好みなど出来る状況ではありませんでした。でも、面接の際、この事を口にしたと思います。BCGの面接の際、この事を口にしたところ、”それは凄いことで、とってもハードルが高いと思うけれど、人生のテーマそのものだよね”と言われました。学卒で入っていた、”天才”と呼ばれていた先輩でした。
で、ざっくり振り返ると、20代~30代の20年間は、とにかく良く働きました。あまりの激務に、”なぜそこまで?”と尋ねられることもしばしばありましたが、得るものの多い時期でした。40代になり、経営幹部のオファーが来るようになり、勤め人を続けるかどうか考えていた時期に、今の会社を立ち上げることになりました。スパの事業を根幹にすることは決まっていましたが、それ以上の広がりを模索したかったので、社名を”ウェルネス・アリーナ”にしました。2006年の起業なので、今年で18年目に入ります。この期間は、組織のブランドに頼らず、自分で何かを作り上げることを経験してきました。賛同してくれる人がいるといいな、と願っていましたが、嬉しいことに、少しずつ仲間が増えてきています。
素晴らしいパートナーと作り上げるスパ、そこに集ってくれた熱い想いを持つセラピスト、モノ作りを支えてくれる作り手やデザイナーなど、ようやく、”好きな人と好きな事”が形になってきていると感じます。これからがもっと楽しみ。
マイヒーローとして、「養生訓」を記した貝原益軒のことは、これまでにもブログに書いていますが、もう一人のヒーローが、伊能忠敬。一仕事終えて、ご隠居となってから始まった日本行脚。私財を投じて行ったこの旅で、彼は日本地図を作り上げます。日本人は、織田信長とか坂本龍馬とか、短命で激しい人柄に惹かれるようなのですが、私はどちらかと言えば、自己アピールせず、穏やかに事を成す人が好み。これからの長い時間、ちょっとお役に立って、楽しいことを積み重ねていきたいと思ってます。