冬ごもり読書の続き。
「李王家の縁談」最後の章で、”ついに紀尾井町の屋敷は売られることになった。買ったのは堤康次郎という名うての実業家で、これをホテルにするということだ”と記されています。これが赤坂プリンスホテルの始まり。
そもそも赤坂プリンスホテル自体が、バブル期の象徴にように言われるホテルです。設計は丹下健三。
中はとにかく”白”でした。大学生の頃は、プールチケットがもらえれば行く、という感じでしたけど、社会人になってからは、毎週金曜日、スイートルームを貸し切りでパーティが開かれていて、ハシゴすることもしばしば。上のフロアにあったバーは、平日の早い時間でも大体満席で、誰か知り合いがいたら、無理やり席を作ってもらって入る、という感じでした。呼んでもらっても深夜しか行けない激務生活だったのですが、どんなに夜中でも、たいてい誰かは居て飲める、というのが実は便利だったのだと思います。誰かが払い、テーブルにはタクシーチケットの束がある、というのが普通でした。幹事役の電通や商社の人は、使う目的が無くても、とりあえず部屋をいくつか抑えていましたし、クリスマスは、数か月前から満室でした。この頃の赤坂プリンスホテル、相当儲かっていたと思います。
そんなハイテンションの赤坂プリンスホテルの中にあって、時が止まったような場所が、旧館でした。当時はこんな感じ。
もともとは、赤坂プリンスホテル旧館、として宿泊できたそうですが、私が行っていたころは、もう宿泊はやっていなかったと思います。(多分)とてもシックなバーがあって、生演奏もあり、お料理も出ました。ここに連れていってくれた上司を”大人~”と尊敬のまなざして見ていたものです。ここに連れて行ってやる!というご褒美のために、相当徹夜しました(笑)その時に、”ここは李さんという皇室と関係のあった方のお屋敷だった”と聞かされました。皇室と関係がある方なのに韓国の苗字なんだ、と思ったことは覚えています。
この頃、赤坂プリンスホテル本館から旧館に行くには、結構通路が複雑で、駐車場に行く裏動線、という印象がありました。建物に手を入れている雰囲気も無く、年々劣化していき、数年後に行った時には、床はギシギシ言っていて、空気がよどんだ雰囲気もありました。立ち入り禁止のスペースもあったので、全景がわからなかったのですが、こういう間取りだったみたいです。
赤坂プリンスホテルの建替え計画が発表された際、”あの建物どうするんですか?”とすぐに関係者の方に聞いてしまいました。あれは、リノベーションして使えるようにする、と聞き、安堵しました。
で、リノベーションされた後がコレ。
古い写真と同じ角度で見ると、外観はほとんど変わってません。中は綺麗にリノベーションされて、カフェ、レストラン、パーティルームなんかがあります。実は、ここはプリンスホテルではなく、ブライダルを手掛けるPlan Do Seeがテナント契約をして、運営をしています。それもあってか、お料理は全体的にリーズナブルな料金で、ランチやカフェも手軽に利用できます。結婚式が大人気です。
ちゃんと保存されて、利用されているのは素晴らしいですし、建物の雰囲気も保たれています。でも、やっぱり別物のような・・。
これはこの建物だけじゃないのですが、赤坂プリンスが建て替えられて、今の建物になったとき、この場所が持っていた余韻のようなものが全て無くなってしまったんですよね。オープンで機能的でピカピカ。オフィスビルが主体になったので、ホテルもあるにはあるのですが、アプローチ自体が会議室に行くような感じなんです。前の赤プリだったとき、エントランスに、近づいた瞬間、何やらワクワクするものがあったのですが、ここには感じません。
クラシックハウスはもっとです。この建物の回りにうっそうと茂っていた木々は伐採されて、ローズガーデンとビオトープが作られたのですが、今一つしっくり来ない。やんごとない方のお宅だった、という手が届かない感じが好きだったので、わかりやすくなって、大衆化されて、いつでも手が届く手軽さ、というのが、何だかつまらない。
一度行ってみて、何だか違和感があったので、それ以来足を運んでいないのですが、この本を読んで、また行ってみたくなりました。せっかくなら、バラが咲く頃にでも。