前回のブログでご紹介した、鈴木貴博さんの「日本経済復活の書」の第9章で、ベーシックインカム全面導入について書かれています。鈴木さんのアプローチは、人工知能テクノロジーの発達で、多くの仕事が失われること、その失われる仕事に就業するはずだった人への補填という意味合いで書かれています。
私が感じているのは、もう少し生活寄りの観点です。これまでの社会では、人生には生産する時期としない時期があり、生産する時期にしない時期の生活費を稼ぎ、一生を自力で終える、という経済性が基本になっています。該当する世代を”生産人口”と呼んでいます。日本の大きな問題は、この生産人口が、減り、非生産人口やその比率が増えていくことにあります。今、何等かの形で年金を受け取っている人は4000万人いて、すでに1/3に達しており、この比率は高まる一方です。これまで、生産人口が、子供と老人の生活を支えていたわけですが、老人が増えるとと子供にお金が回らない、というのが、少子高齢化の構造です。そしてもう一つ、日本により強い傾向が見られるのは、成人男性一人が生産人口となり、配偶者の女性は生産しないという専業主婦という制度です。主婦の家事労働はいくら、とよくネットに出てきますが、経済的には、この家事労働は生産にはなりません。この男性一人に頼る制度が、就職氷河期時に成立しなくなり、今後の社会不安がようやく指摘され始めました。
これまでは、老人が子供の世話を担う例が多く、この役割で生産人口を支えてきました。しかしながら、現役の期間が延び、老人になっても自分の時間や仕事を優先するようになると、子供の世話まで時間とお金が回りません。これまで、80歳で他界すれば、資産を子や孫に引き継ぐこともあったでしょうが、100歳となると、自分の面倒を見ることで精いっぱいになってしまいます。加えて、離婚率は年々高まり、結婚+出産が女性の一生を補償するものではなくなってきました。慰謝料・養育費の支払いが緩い日本においては、補償どころか人生最大のリスクになってきているのです。
人間の単位を決めるのは、経済性とコミュニケーションだと言われます。上記は経済性の話ですが、携帯電話が発達し、コミュニケーションが個人対個人になったことは、より大きな変化をもたらしました。昔の映画を見ると、何と電話は交換手経由です。どこに誰がかけているのか、家族中に知れ渡ってしまいます。家の電話を経て、今や1人1台または複数台のスマホを持つ時代になると、夫婦・家族・親族といった社会を形成している単位は、より脆弱なものになります。子供という無力な存在は、その単位に守られて育ってきたので、脆弱になるということは、それだけ子供の受難を意味します。
一つの生命を育てることは、自己犠牲の連続なので、”一億総活躍”という安倍政権時代のスローガンは、その活躍の影で、弱い生命の優先順位は下がることを意味していました。より少子化が進み、貧困や虐待のニュースが日々報道されるのは、ある意味避けられない社会構造変化の結果です。出産育児に懸命に取り組む若いパパやママには、誰もが心からの敬意を持たなくてはなりません。
”女性活躍”も怪しいスローガンでした。現実問題として、日本社会は、女性の犠牲と負担の上に成り立っています。家事、育児、家庭内介護といった無償労働が、女性の肩に圧し掛かっています。親世代の状況を見て、結婚に夢を持てず、恋愛すらしない、という傾向まで出てきました。
生物は、生殖機能がある時期しかホルモンが出ませんし、この時期にしか持たない感情があります。そのことにより、子孫が産まれます。女性が優れた子孫を持てるのは16歳~24歳ぐらいまでです。かつ、安心できる環境とそうでない環境で育った哺乳類のシナプスを比較すると、まるで構造が異なります。ストレスが多い環境で育った場合、そもそも脳細胞の発達が未熟な状態なのです。
ベーシックインカムを導入した場合、何が起きるか考えてみます。生まれてから死ぬまで、全員が月10万円もらえると仮定します。若いカップルが赤ちゃんを産むと月30万円の収入があるユニットになります。働けば追加の収入がありますが、働かなくても30万円は得られます。田舎の家で子育てをする時期があってもいいし、どちらかがスキルアップの勉強をしながら子育ても出来ます。子供1人増えれば10万円増えるとなれば、1人より2人、2人より3人と産む若い世代が出てくるかもしれません。子供3人いれば50万円になります。地方移住を考える若い世代も増えると思います。
こんなにバラまいたら経済がもたない、と思う意見もあると思います。が、何せ子育て時期にはお金がかかります。住居、食費、教育費、それに娯楽費。この時期に子供を幸せな環境で育てることは、優秀な脳を育てることに繋がるのです。支出があれば、それはGDPを押し上げます。子育て世代が節約をし続けるのではなく、少し余裕があるから子供のために少し良いものを買おう、子供と遊びに行こう、という動きになれば、それを提供する企業の業績は上がります。そして、そういった業種には夢があります。
対極にある高齢者を考えてみます。国民年金のみの加入の場合、手にできる年金だけでは生活が成り立たず、支援する家族がいない場合、生活保護になります。今後、膨大な数の生活保護受給者が出てくると言われていますが、そうすると、年金を支払った人と支払わなかった人の間に矛盾が生じます。どちらにしても、現在の保険制度は、構造欠陥が著しく、持続できるものではないのです。老後の補償については、リセットしないと、そもそも国家財政がもちません。
財源については、様々な考え方があると思いますが、そもそも現状の役所仕事には、膨大な無駄があります。コロナの給付金支給の際に、多くの国民が目にした通り、人を選んで何かを支給する際、制度立案→国会承認→実行計画(霞が関)→実施計画(自治体)→口座確認→告知→振込作業と進みます。こういった手続きは、場合によっては、支給する額以上の事務コストがかかります。生活保護に至っては、不正受給に対するチェックもあり、事後も人出がかかります。マイナンバー制度・振込口座申請とセットで、このベーシックインカムを導入すれば、これらの事務コストと、山のようにある各種補助金やそれに連なる団体のコストをカットすることが出来ます。介護保険見直し、老人に対する医療内容の見直し(胃ろうなど)も必要になると思います。
政治家は、”まずは自助、家族の助け合い”を推奨します。一見それは素晴らしいことのように見えるのですが、社会構造が個に向かって進んでいる中、それは感情論でしかなく、全員が生きることのできる制度設計をすることが、税金で国家の仕事を請け負っている政治家と役人の業務です。
国民全員が、まずは誰かに頼らなくても生きていける、という生活のベースが保証されていれば、そこから新たな助け合いや優しさも生まれます。その上で、”自助、助け合い”と言うべきです。
鈴木さんの著書では、まず2年間社会実験をしたらどうか?との提案がありました。少しでも前に進むための控えめな提案だと思いますが、多分それでは機能しないと感じました。国富と予算組み替えを総動員し、まさに国家100年の計として推進すべき事だと思います。
と、色々考えている中、これを還暦近い鈴木さんや私が考えてるってどうなんだろう?と思ってしまいました。若い子たちは、自分たちの幸せな未来に、もっと貪欲でいいんだよ、とまず伝えたい。